人間関係がウザい!?むしろ孤独は喫煙に匹敵するほど健康に悪い

「近所付き合い」はどれほどか

よく地方は人付き合いが面倒だとか、よそ者に冷たいだとか排他的だとか言われます。

確かにその一面もあります。自治会の集まりに出なければ村八分を食らうだとか、青年会に入って近所の葬儀は必ず手伝わなければいけないだとか、そういったしきたりがあるような田舎であれば、隣人の顔もわからないような暮らしをしてきた都会人にはストレスかもしれません。

実家に戻って親と同居する場合はそういう面倒もあるかもしれません。
しかし家族で引っ越してきた人は賃貸アパートだろうし、そうであれば東京も田舎の都市もあまり変わりません
(逆に言えば、知らぬ土地にいきなり家を買って住むのはリスクが高いです)

地元住民との密な関係をむしろ望んている人は肩透かしを食らうくらい、幸か不幸か地方も東京もあまり変わないのが現状です。

「人付き合い」を嫌がることに合理性はあるのか

そもそも、半強制的な集会があったとして、それを苦と思うのはなぜなのでしょうか

「自分の時間が奪われる」「気が合わない人にからまれる」「仲良くもない人とつるむのがストレス」などの理由があるでしょう。これは私もよく理解できます。

しかし、ではあなたが「信頼がおける」「一緒にいて楽しい」と思っているような相手は今までどうやって見つけたのでしょうか。

学校の同級生、近所の幼馴染、部活仲間、会社の同期・・・それらすべてが、あなたが好きなことをやって見つけ出した相手でなく、偶然に、ときには否応なく帰属した集団の中にたまたま存在していた他人に過ぎません。

田舎の付き合いの中でも相性の良い人間に出会うかもしれない。
そこまで欲しなくとも、慣れない生活の中で住みやすくなるための知識を与えてくれる人がいるかいないかでは差が大きいです。何も知らないよそ者には世話を焼きたくなるのが田舎の人の性質です。

そうして偶然築かれた人間関係の中で、悲喜こもごも生活して行くのが人間本来の生活様式ではないでしょうか。
「人との繋がりの欠如は、酒やタバコなどに匹敵するほどの健康リスクがある」という調査結果もあるくらいですから。

逆にもっとあざとく捉えれば、その土地の人の性質を知ることはジビネスにも役立ちます
いきなり仕事で歳も価値観も離れまくった人と利害関係を結んで嫌な汗をかくくらいならば、近所の小さなコミュニティで地域に慣れておいた方がずっと楽です。

そう考えると、どうせ避けられない「人付き合い」はむしろ積極的に介入して実を得るくらいの意気込みで臨んだほうが合理的といえるでしょう。

田舎で生きるためにおさえておかないといけない人たち

会社の同僚、先輩

都市部では、仕事の帰りがてらにあまりに簡単に飲みに行けてしまいます。
それを利用して何処かしこに顔を出す酒好きな人がいますが、普通はそうでなく、一緒する人は固定されるでしょう。その一方では、職場の忘年会であっても、常に欠席する人も少なくありません。
同じ会社の人間が仕事時間以外でわざわざ集まること自体の意味を感じにくいというか、その価値は低いような感覚があります。

だからなのか、会社の飲み会は来ないのに、異業種間パーティなどに有償でも参加することが「意識高い系」のアフターファイブの過ごし方だったりします。

 
地方の場合は、車社会なので、どうしても飲み会には参加しずらくなります。
家が離れていればタクシーや代行を使わなければいけないので金もかかるし、実家住みで家族の面倒を見ている人ならば、夜中まで飲むのも気がひけるでしょう。

そんなこともあり、そもそも飲み会の回数が都会で暮らすよりずっと減るため、一回あたりの金額が少し大きくなっても生活へ影響するほどではありません。

そして、なかなか参加できないからこそ、参加するからには意味のあるものにしようという気持ちで臨む人が多い気がしています。
それは会費相応の飲み食いはしてやろうといったレベルから、普段あまり話さない人と話そうとか、聞かないことを聞こうとか、言えないことを言おうとか、そういった目的意識さえ発生します。

これは新参者にとっては非常に重要な情報源であり、皆がどういう気持ちで仕事をしていて、何を困っているのか、会社のどこが悪いのか、もっとどうなって欲しいのか、といった普段なかなか聞けない部分がみえてきます
もちろん、前向きなことを熱く語る人もいれば、愚痴に終始する人もいますが、それはそれで個人の性質を知って普段仕事で絡む上で対策することができるわけです。

 
言ってしまえば、とことん酒に付き合えば味方は何人もできます。
そこで得た情報を仕事に活用すれば、酒好きだけでなく、酒嫌いな人でも味方にできるはずです。

仕事はデジタルに、人間関係は「飲みニケーション」でアナログに。
まったく飲めない人には役に立たずな情報ですが、近道で言えばいつの世もこれに勝るものはなさそうです。

家族

都会から地方に移住することに対し、反対する親もいるでしょう。

「安定した企業で働くことが幸せ」「そのために大学に出してやった」「せっかくの特権身分を捨てるとは何事」などと思っている団塊世代に新しい価値観を注入することは、猫にお手を教えるのと同じくらい困難です。正しい側面もあるわけですしね。

それでも親の近くに移り住むのならば歓迎される可能性はありますが、それはそれで「近くに来たのに全然顔を出さない」などとなんでも自分の都合よくしか考えられない老化脳に困らされることもあります。

同居ならば親との接触は避けられませんが、そうでないなら、よほど理解のある親でない限りはあまり関係性を変えるのはよした方が良いと思います。
もし近くに移り住んだなら、緊急事態に駆けつけやすくなるわけだし、自分が本当にやりたいことをやるための決断であることを主張すれば、それ以上とやかくは言ないでしょう。

配偶者、子ども

もし結婚していてまだ子供も小さく、配偶者もフルで仕事をしているのであれば、地方移住は困難を極めます。
もし配偶者に理解があり、二人とも地方志向なのだとしたら、むしろ強力な味方なのですが、そう出ない場合は厳しい。

 
まず配偶者については、単に仕事の問題だけならまだマシです。
夫が妻を説得するというケースでは、女性は周囲に自分のコミュニティを築いている場合が多いので、そこから引き剥がしてまた人間関係を一から構築させることは、男が思うよりずっと酷なことのようです。
特に主婦ならば、子供を媒介とした「ママ友」関係ができあがっていて、引っ越し先の慣れない地で、すでに出来上がっているグループに途中参入するのはきつい。
「公園デビュー」なんて言葉もあるとおり、女性どうしのコミュニティへの出入りの難しさがそこにあります。

妻の性格にも依りますが、夫の自己実現よりも友人関係を含む今の環境の維持が譲れないのならば、人生を分かつしかないかもしれません。それほど深刻な問題です。

もしなんとか許してもらえたなら、たまには以前の友達とも会えるよう旅行を計画するとか、転居先でも友人ができるようにいろいろな集まりに参加することを支援するなど、アフターフォローが必須になるでしょう。

 
子どもの場合は、当然年齢と性格の要素が大きいです。
小学校高学年以上になっていたなら、とっくに都会の生活に慣れ、友達もでき、今更田舎に移り住むのは嫌でしょうね。特に中学の途中から転校などとなるといじめの対象になるおそれもあります
性格的に誰とでも打ち解けられるならば問題ないかもしれませんが、決断するなら早いに越したことはないです。

ちなみに私の場合は、移住を決断した年に幼稚園を卒園する息子が一人いました。
性格が明るかったことと、友達が変わってもがんばると言ってくれたことが助かりました。できるだけ負担にならないようちょうど小学校入学から新しい環境に入れてあげたいと思い、タイミングを逃さぬべく卒園直後の3月に引っ越しました。
まだ職も決まらないうちに移住の時期を確定させたのです。それだけタイミングを重要視しました。
離れた場所で小学校の入学手続きをこなすのは妻にまかせきりで負担をかけてしまいましたが、なんとか春の新生活が始まる前に移住できたことは功を奏しました。

家族の負担をできるだけ軽減するためには、それぞれの置かれた環境と心情をできるだけ察した上で、ベストなタイミングで行うことが大事なのです。

Q: きつくない?いろいろと・・・