経歴
- 大学での専攻は情報科学系。プログラムは浅くしかやらず特になんら実用性のある知識なく就職。
- 最初の就職先は某家電メーカー、携帯電話のソフト開発を担当。勤務は縁もゆかりもない地方。
- 担当領域はブラウザ、TCP・HTTPのミドルウェア。ここでネットワークやHTMLの知識を得るも、コーディングは外注だったため、開発環境やプログラムのスキルはあまりつかず。
- ケータイ開発が自分に向いている感じがせず、更には勤務地が肌に合わず、子会社に希望異動。5年在職。
- 同家電メーカー国内販社。営業支援担当。東京勤務。
- 映像関係ソリューションの技術支援担当として、PCなどの知識を得る。営業と技術者と企画・販促にそれぞれつま先が浸かっているような立場。
- 仕事内容は楽しかったが、会社自体が傾きかけ、更には上層部のいい加減さに辟易し、退社を決意。6年在職
- 某旅行会社のユーザー系SIer企業。インフラ担当。東京勤務。
- 技術職リベンジのつもりで比較的夢がありそうな業界のシステム会社に。経歴的にはアプリ寄りなのになぜかサーバーインフラ担当部署へ。まったく予備知識もなく役に立たないからか、自社グループ向けではなく外部企業とのアライアンスプロジェクト担当に。
- サーバー管理等のインフラ知識を突貫工事的に身につけたが、将来展望が描けず人生の目的を見失い、SEの道を閉ざすことを決意。
- 自分はどう世の中の役に立てるか問い直した結果、子どもの小学校入学のタイミングでUターン転職。在職たったの1年半。
- 現勤務先の卸売会社。総務・経理・社内システム担当。地元地方勤務。
- 総務・経理職で「パソコンが得意な人」が募集されていたこと、また、業態に魅力を感じ、入社。
- まったく肌違いの職種だが、持ち前のプライドのなさでなんとか担当業務に順応。経理、労務、経営等の知識を徐々に学びながら、システム担当としてはやりたい放題し、今に至る。もうすぐ在籍3年。
スキル
はっきり言って、何かそれ一本で食っていけるようなスキルは皆無です。
とはいえ、1社目のケータイ開発は組み込みだったため、メモリ管理、タスク管理、デバッグなどを学びました。また、ブラウザアプリ担当だったため、ネットワークやマークアップ言語の知識を得ています。
次の会社ではPCに非常に詳しい上司に師事し、PCのハードウェアやWindowsまわりの知識を得、映像機器にも強くなりました。さらに営業同行したことで営業をリスペクトし、ユーザーのニーズ重視の思考も身につけられたと感じます。
さらに次の会社では付け焼き刃ながら、DBやサーバーインフラとその管理面、及びプロジェクト管理の現場で学びました。大企業がいかに横暴かを身をもって感じるつらい経験もありました。
というわけで、飽きっぽくどれも半端に終わっているせいもあり、浅く広く様々な知識に触れ、様々な立場の人たちとも接することができたと感じています。
なお、保有する資格としては、情報系で言えばIPAの応用情報技術者、情報セキュリティ技術者、ネットワークスペシャリストくらいです。これらはせめて技術者としてやってきた自分に箔をつけたくて受験した程度であり、必ずしも実践的ではありません。
インプットばかりの修行の日々からアウトプットする立場へ
今の会社に至るまでは、とにかく学ぶことばかりでした。もともとさして得意分野もなければ、何か大きな志をもって技術職につこうとしたわけでもありません。だからとにかく遅れを取らないようたくさん参考書は読みました。仕事で少し成果が上がっても、充実感のようなものはあまりありませんでした。
しかし今は変わってきたと感じます。これまで溜め込んできた大小の知識を放出し、それが誰かの役に立っているという感覚があります。
人が拠り所にするものというのは人それぞれです。仕事や金かもしれないし、趣味の何かかもしれない。友人、家族、子どもかもしれない。
しかし私の場合は、色々な可能性がそぎ落とされた結果、最後に残ったのは、生まれ故郷、生みの親。そして本当に助けを必要とする人たちのために何かを作り上げ、役に立ちたいとの思いです。
幼稚園のときに将来なりたい職業が思いつかず「大人」と書いたくらい、目標がありませんでした。しかしいつの間にか工学の道を選びメーカーに就職したのは、「何かをつくり、人に直接的に役立つ」ことに価値を見出した深層心理の発露だったのでしょう。
つまりは?
何か一筋の「プロフェッショナル」になれなかった人間であっても、それに引けを取らないくらい社会に貢献できやりがいを持って仕事ができる場というのが必ずあると思います。
「元SEが地方の中小企業の経理になる」というのはその適例であると確信するのです。
だから、やりたいことが一つならばそれだけ突き詰めれば良いし、やりたいことがたくさんあるならいろいろな職業を経験したら良いと思います。
自分を特定の範囲に押し込めずいろいろな可能性に目が向くように、個人の意識や日本の制度も変わらなければいけないことがあると考えています。